彼女は私の知り合いの娘であった。私は彼女と話し込むことが幾度かあったが、毎度話題に上るのは先生と呼ばれる男の話だった。 男は駆け出しの精神科医であるそうなのだが(彼女曰く先生がそう仰っていたとのことだ)、顔立ちか性格かはたまた患者――ここでは彼女になる――に対する献身的な振る舞いのためか、いたくお気に入りになったらしい。彼女はいつかあたしのものにしたいわと端々に混ぜながら、その先生の話を上気させた頬と潤んだ瞳で語り続けた。やれ先生の好物がなんだとか、趣味がなんだとか、蛇が苦手らしいとか、私は見も知らぬ先生についての入れ知恵に近いような知識が増えて行った。 ところで、彼女は医者の世話になるほど異常を来した精神構造ではないことを私は知っているのだが、どうにも彼女の世話をしている女中から、父、母、祖父母、親戚一同、近隣の家人に至るまで、それはそれは周到で巧妙な虚言と演技でもって、自身は精神病者であるとして生活を送っているようだった。私はそんな彼女の話し相手という位置に付けられているようで(承諾した覚えはなかったのだが)、週に一度か二度か、酷いときには連日呼び出しを食らうことがあった。 これは一大事があったと呼び出された用事を済ませてから認めているものだが、私には解りきった話であったために、周辺の騒動を演劇の見物客のようにして眺めるだけにとどめた。
詰まる所、彼女はその先生とやらを手籠めにしたのであった。 「ね。あたしが蛇が見えると言ったら、先生、それを本気にしてしまって。それで、居もしない毒蛇に咬まれて、その蛇の毒が回りきってしまったの。かわいそうね。」 私はそうだねと相槌を打った。繰り返すが、彼女は医者の世話になるほど異常を来した精神構造ではない。「あたしには実際何も見えていやしなかったわ。」と、私に対してだけはけろりとしたふうに口にした。お気に入りがどんなものであろうと、それを骨抜きにして自分のものにすることに一途なだけなのだろうなと、私は思っている。
「あたしは向うに行く振りをして、ずっと待っていたのに、先生ったらずるいわ。一人でさっさと向うにいってしまうんですもの。」 これは用の済む少し前に彼女が零した愚痴だった。気の毒だなという感想を持った。無論、彼女が上手く人に化けた蛇であったことを見抜けぬまま冒された、先生と呼ばれた男に対してである。