噂をすればなんとやら。彼らはそれに気付かない。
仕事終わり。青年はいつも通り酒場に足を運び、隅の席に腰掛けて絵を描く。いつ来ても賑わいを見せている酒場は、今日は何故だか輪をかけて賑やかだった。澄ませずとも耳には先日あったらしい幽霊番組の話が飛び込んでくる。どうやらこの話題で持ちきりのようだ。やれ排水溝に長い髪が詰まっただの、やれ指輪を返せと囁く声が聞こえただの、そんな会話が途切れることなく続いている。 この酒場は仕事屋とその身内のみにしか開かれていない。仕事屋同士の交渉や商談に使われることもある場所だが――基本的な様相は、一般的な酒場と大差ないのだろう。
彼は溢れかえるそれらの話題に興味を示さない。会話に混じることもせず黙々と筆を進めてゆく。頭の中に澄んだ声が響いた。
「まったく、失礼しちゃうわ」
彼の隣には、姿の見えない少女がひとり。
“仕方ないよ、君の姿は見えないんだから。” 彼はページの端に言葉を連ねる。
「あら? あなたには見えてるじゃない。ここで私に気付いてくれたのは、あなたがはじめてよ」
“そう”
「まあ、あなたが言うように、見えないから仕方のないことだけれど。だけど、だからってあんなふうに笑い話にされちゃ、呪いたくもなるものよ。わかるでしょう?」
彼は視線だけで返事をした。少女の幽霊は真っ白なワンピースの裾を揺らして絵を覗き込む。
「あなた、そういえば驚かなかったわね」
“時々見るから”
「そう? 時々なんて言うくらい、私以外にもそれなりに居るのかしら」
“この酒場にもいるなんて思いもしなかったけど。”
「居心地がいいのよ。よく来てたもの」
見目には年端も行かぬ小さな少女だ。仕事屋だったのかと問うた。少女は両親がそうだったのだと答えた。ともにこの酒場で提供される料理が気に入っていて、彼女もよく連れられてきたのだと。――その短い命を、両親とともに落とすまでは。少女は目を伏せ、くだらない事故に遭ったのだと言った。そこに居合わせてしまい、一家全員であの世行き、となったそうだ。なぜ一人でここにいるのか尋ねると、人に会いたかったからと言った。
「でもね、人に会いたくても、私は幽霊だから……気付いてくれる人なんて、よっぽどそういうのに敏感な人か、同じ幽霊の子だけよ」
泣きそうな笑顔だった。どう言葉を繋げたものか悩んだ。そのまま、あなたはひとりでいいの、と少女は続ける。
「あっち、楽しそうじゃない」